まなたろぶろぐ

福岡大学卒 社会人2年目

考えてみた

こんにちは。

 

塔村です。

 

文学について書き終えた後に、課題の存在を思い出したので、もうひとつの記事にします。


manataro1112.hatenablog.com

 

与えられた課題は2つ。

①人間(クローン人間)を作り出すことの是非

②自己肯定感はどうすれば(どのように)実感できるのか

 

順番に考えていきます。まず①ですが、クローン人間を作ることが正しいか、そうでないかということについて。以前、ヒカルの死について考えたときを思い出しました。
manataro1112.hatenablog.com

ヒカルの完璧なコピーは、過去の記憶まで持っており、ヒカルと同一人物ともいえます。クローン人間もいわゆるコピーだけど、ヒカルの場合と違って、過去の記憶までは持っていないはず。という曖昧な認識だったので、まずクローン人間について知るところから始めました。

クローン人間

もとの人間と同一の遺伝子で創造された別の人間。ある遺伝子から無性生殖によって誕生した人間のこと。遺伝子の提供元となった人間とまったく同じ遺伝子をもつ。ちょうど人間のコピーに等しい。男性と女性の愛の結晶として誕生する人間とは違い、クローン人間の生物学的親に相当するのはひとりの人間だ。似ているけれども親子で異なる遺伝子をもつ人間が誕生するのではなく、まったく同じ遺伝子をコピーすることになるため、倫理的な問題は避けられない。

Weblio辞書より引用

クローン人間は一人の人間のコピーであるということは分かりましたが、記憶に関してはまだ分からなかったのでさらに調べました。興味深い記事があったのですが、要約が難しかったのでそのまま貼り付けます。

torepikulog.com

この記事によれば、もしクローン人間を作ったとしても、その性格・記憶は全く異なる人間が生まれてくるだけです。しかし、細胞に記憶が宿るという説も完全に正しくないとは立証されていないため、自分のクローンを作った場合、その子供が自分の記憶を一部もって生まれてくる可能性は0ではないということが言えます。

以上のことを踏まえて、クローン人間を作り出すことの是非について考えました。私は正しくないと思います。というか普通にキモイ。自分と似ているならまだしも、全く同じ外見ってキモイでしかない。キモイ以外に正しくないと思う理由が3つあります。

1つめは、人としての価値がなくなってしまうからです。全く同じ外見の人が二人いたら”個性”というものがありません。ヒカルの死について考えたときにも書いたように、唯一無二の存在である意味が失われてしまうのは、とても悲しく、同時につまらないことです。「十人十色」とか「みんな違ってみんないい」という言葉があるように、みんな何かしら違う部分があって当たり前で、違うからこそ一人ひとりの存在意義があると思います。そう考えると、今の若者はクローン的な要素があるように感じます。インスタなんか特にそうです。みーーんな同じ食べ物・同じ場所・同じ風景の写真を載せて、本質を理解せずに見た目だけにこだわって、いいねをもらって安心したり満足したり。個性もクソもないし、それに価値があると思えません。同じ人間を作るということは、価値を失うことと同じことだと私は思います。

2つめは、尊重性がなくなってしまうからです。クローン人間を”作る”というくらいだから、フランケンシュタインに出てくる怪物と同じように、ほとんどモノ扱いのように感じられます。石川先生が仰っていたことを思い出しました。「自分のクローン作って面倒くさいからそいつに授業行かせたり、仕事させたりして自分は他のことをする、とかね」クローン人間にだって感情はあります。自我もあります。なのに、コピーだからといって奴隷のように扱われるのはおかしいのではないかと思います。怪物だってそうです。ヴィクターによって作られ、人間と仲良くなりたい、それだけなのに、それすらも許されないのです。ああしたい、こうしたいという欲求が押しつぶされ、一個人として尊重されないのなら、それはもうロボットと同じなのでクローン人間を作る必要性が感じられません。

3つめは、愛がなくなってしまうからです。一人の人間のコピーであるから、例えばもし、ある夫婦がいて母親のクローン人間を作り、その子を育てたとしても、父親からしたら全くの他人になるわけですから、全力で愛情を注ぐのは難しいと思います。一生懸命育てても、心のどこかでは自分の子供じゃないという思いがあるはずです。

 

次に、②についてです。自己肯定感はどうすれば(どのように)実感できるのでしょうか。これまた調べてから考えました。

自己肯定感

自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。自己否定の感情と対をなす感情とされる

Weblio辞書より引用

ずばりこれは他人の存在から得られると思います。人のために貢献した、人を助けた、人から褒められた、人から愛されている、など、自分ではない誰かが影響して初めて自らの価値や存在意義を肯定できるようになるのだと思います。人間は一人では生きてはいけない、というか自分ではない誰かが存在しない世界などないので、必ず”人との関り”があります。その中で、人のために何か良いことをしたり、人から何か良いことをされたりして、自分という存在の意味を確認できるのではないかと思います。逆もしかりで、人から裏切られたり、人から嫌われたり、人からけなされたりすると、自分は何のために生きているんだろうと思いつめてしまいます。

そうならないために、まずは自分が人に良い影響を与えるということが必要なのではないかと思います。”思いやり”の心を持つことを忘れずに、こうされたらどう思うか、こう言ったらどう思うか、ということを常に相手の立場になって考えれば、それがそのまま自分に返ってくると思います。そうすることで、自己肯定感を実感できると思います。

 

思った以上に長くなってしまいましたが、考えるの楽しかったです。

 

それではまた次回。

文学はエンタメ

こんにちは。

 

塔村です。

 

哲学、旅を終え、先週のゼミでは「文学」について学びました。教育開発支援機構教育研究センターの石川源一先生にお越しいただきました。福岡大学では英語を教えているそうで、ゼミ生の何人かも先生から教わったことがあるといいます。そんな石川先生ですが、実はイギリス文学が専門で、卒論はフランケンシュタインについて書いたそうです。

だから事前課題でフランケンシュタインを3回読むように言われたんだ、と繋がりました。それにしても何故フランケンシュタインを選んだのでしょうか。石川先生が学生時代、先生の先生がシェイクスピアの研究をしており、やってみないか?と誘われたそうです。しかし、他に研究している人がたくさんいるし、何しろシェイクスピアが死んで400年も経つのに今からやってもなあと思い、むりーーー!と断ったそうです。それからゴシックホラーはやってみたい!と興味を持ち始め、フランケンシュタインにたどり着いたのです。そして今は詩、ポエムを中心に研究されているそうです。

 

まず、「文学」についてお話していただきました。文学は実は幅が広く、音楽や哲学も文学に含まれます。共通しているのは、”言葉”があるということです。

昔、テレビもラジオもない中、人々は何にワクワクしていたのでしょうか。ずばり、です。本は、登場人物たちの気持ちになれたり、自分ではない誰かになりきることができたり、まさにエンターテインメントなのです。昔も今も人はみんなドキドキ感を求めているのです。ドラマ、映画でよく扱われる”愛”というテーマのなかでも、悲しい恋の物語ほど好まれるのは、そういうこと。私もハッピーまっぴー恋愛物語よりも、泣ける系のほうが好きです。笑

そしてこれら全ての根底には”言葉””文字”があります。言葉や文字があれば、感情をアウトプットできるだけでなく、言ってしまえば何でもできます。そして最終的には物語が出来上がります。これが文学の目的とも繋がっているといえます。文学が100年くらい生き残っているのは、歴史など全てを知ることの手段になり、人間を勉強することができるからです。

 

次に、フランケンシュタインを読んだ感想をそれぞれ発表しました。本の感想は、なんとなくこう思った、たぶんそうじゃないかなと思う、絶対こうだ!というように、様々な意見が出るものです。捉え方や価値観は人それぞれだし、時には答えが出ないことだってあります。哲学では、答えのない問いにも答えを出せと学びましたが、文学では、”わからない”も1つの正解だということを学びました。この答えが出ない状態や、あえてそのまま放置する姿勢をJohn Keatsという方は、"Negative capability"と表現しています。日本語には翻訳し難いですが、何でも答えが出ていて、人の感情が言葉によって制御されるため、つまらない今の世の中とは逆の状態だと言えます。

全てを受け入れる広い心と、人間だから答えが出ないのは当たり前と認める心が文学では大切です。他者の意見を受容し、同時に考えるのが、文学を学ぶ姿勢であり、目的といえます。

【私の本を読んだ感想】

・最初の手紙がわけ分からなかった。理解しようと思っても全くできなかった。

・見た目だけで人間から拒絶されてしまう怪物がとにかくかわいそうだった。でもそれが人間のリアルを描いているようで、自分はどうなんだ、と考えさせられた。

・仲間を作ってくれるという約束をしたのに最終的に裏切られてしまい、そのショックがどれほどものか想像がつかなかった。もし自分が同じように誰かに裏切られたら、その先何を信じていいかわからずに人間不信になりそう。

【他のゼミ生の感想】

フランケンシュタインは怪物ではなく、人の名前だということに驚いた。

・イメージと原作がこんなにも違うなんて知らなかった。

・ヴィクターへのイライラが募るばかり。

・著者メアリーの人生と重なる部分があるのではないか?

・最初は怪物も頑張っていたのに、だんだんとひねくれていく様子が何とも言えなかった。

・望んでもないのにこの世に生まれて、作った本人からも拒絶されてしまう怪物がかわいそう。

 

共感する部分や、そういう見方もあるか~と、同じ本を読んだのに色々な感想がでて、聞いていてとても面白かったし、改めて読み直したいという気持ちになりました。感想を踏まえて、石川先生からフィードバックやネタバレをお話していただきました。

まず、フランケンシュタイン≠怪物といことです。フランケンシュタインは、ハロウィンで仮装している人がいるように、緑色の肌で頭に釘が刺さってたり、死んでいるような目をしていたり、怖いモンスターみたいなイメージがあったので、最初に本を開いて登場人物の部分を見て、!?となりました。誰もがイメージしているフランケンシュタインの物語像と原作との違いがあまりにもありすぎて、ビックリしたと同時にいかに自分が今まで無知だったかということを感じました。

次に、ヴィクターと怪物の関係性についてです。

1、創造性と被創造性

2、親と子

3、神と人間

ヴィクターと怪物の関係は、以上の3つと捉えられます。原作英語版では、怪物はクリエイチャー(creature)=作られたモノと記されています。モンスターと1回は書かれているものの、命を持つことも許されないような、モノとしての扱いをされているのです。また、神になりたかったヴィクターと、何もないところから成長し徐々に悪の部分がみえてくる怪物を人間に置き換えることもできます。

次に、導入部分についてです。f:id:manataro1112:20190704163449j:image

これは、テクニックのひとつで、これを用いることによって読者の興味を惹きつけるとともに、みんなが怪物かわいそう、ヴィクターひどいと言っていたように、怪物のことを好きにさせるように仕向けているのです。まんまとやられたぜ☆歌詞とか小説とか詩とか、文字で人の心を動かす人ってほんとにすごいと改めて思いました。

最後に、登場人物についてです。

基本的にみんな自己中ですよね。そんな中、唯一良心的な人物がいます。ド・ラセーという盲目の亡命者です。そう、彼は目が見えません。耳から聞こえてくる情報、つまり言葉でしか判断できないため、怪物を拒絶することをしなかったのです。幸せってある意味不幸ですよね。目が見えることは幸せだけど、何もかも見えてしまうだけに偏見が生まれてしまい、結果的にそれが不幸に。それなら、最初から目が見えない方が幸せなのかなと思ったり。幸せの定義も難しいですけどね。

 

 

文学のイメージはなんだか堅苦しくて、今までどちらかと言えば避けてきたけど、今回このように先生から教えていただき、文学の面白さが少し分かったような気がします。先入観ってよくないけど、だからこそ面白い!楽しい!って思った時のギャップが大きく、心に残りました。

 

石川先生、今週もよろしくお願いします!

 

それではまた次回。

ゲームチェンジとサービスデザイン

こんにちは。

 

塔村です。

 

土曜日にService Design Nightに参加してまいりました。

 

 はじめに株式会社経験デザイン研究所の浅野さんから「ゲームチェンジとサービスデザイン」についてお話をお聞きしました。

 

学んだ内容を簡潔にまとめます。

・企業のゲームチェンジ(ビズネスの技術的変革)

→顧客の利用シーンの変化

・ビジネス視点とユーザー視点の両方を持つこと

・テクノロジーはアップデートし続ける

→誰もが永遠に初心者

→いつも新しいことを学び続ける必要がある

新しいことを学ぶには、今まで覚えたことを全て忘れることが必要

unlearnすべし

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・スキル=知識・技術(環境によって異なる)+判断(どこでも通用する)

→判断は多様な学びと失敗の繰り返しで得られるもの

・学びのサイクル 

①たくさんの体験⇒経験に昇華

省察(経験を多様な視点から振り返る)

③概念化(他の状況にも転移できるよう、一般化・概念化する)

④試行(実際に試してみる)

・目指すところ

シングル・ループ学習 ex)20度を保ち続けるエアコン

ダブル・ループ学習 ex)温度調節をするエアコン

正統的周辺参加

モノを教えるとき→順番通りでなくて良い、一番わかりやすい方法で教える

相対的(統一的)にしっくりくる

・創造性にはリベラルアーツ(教養)が必要

・ブログを書くまでがWS(学びには外化が大切

ブレインストーミング大事

・学びを深める

→学んだことを口に出す(外化する)

・ゲームチェンジ

→技術変革が激しい

→企業が戦う場所を変えていかなければいけない

[背景]今後の世界

◯社会の変化 ex)パナマ→中国人の方が人口多い、日本→高齢化

垂直統合から水平分業

垂直統合…全て自社で業務を賄うトヨタ、日立、パナソニック

水平分業…業務ごとに別々の企業が得意分野をそれぞれ受け持つ社員数が少ない(アップル、グーグル、ソニー

・何をデザインするのか
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・サービスデザイン

インサイド・アウト…ブランド体験(ビジネス視点)

アウトサイド・イン…UX(ユーザー視点)

→これら2つでサービスデザイン

・デジタルトランスフォーメーション

→ユーザー行動のオンライン化

・モノからサービスへ

フィンテック

・金=価値に対する対価

→業務に対する対価ではない

・人の幸福から離れて成長する企業はない

→人間中心

ex)中国の火鍋レストラン

端末で注文、ロボットが注文を受けお客さんの元へ、麺のパフォーマンスで人と人との繋がり、予約はスマホ、待ち時間でネイル・お菓子食べ放題、辛いものが食べられない子供たちのためのキッズルーム

・便利なことが幸せなのか?

ex)答えてを簡単に教えてくれる学習アプリ

・今あるものを捨てて新しい価値観へ

ビッグデータ

→データがたくさんありすぎて表面的しか分からない

エスノグラフィックリサーチ

→ユーザーの行動を観察

 

長時間のインプットで箇条書きになってしまい分かりづらいかもしれませんが、たくさんのことを学ばせていただきました。学びを深めるため、最後の一時間くらいでアンカンファレンスを行いました。4つの議題があがり、私は手法について話し合いました。

エスノグラフィックリサーチとは?」という問いをたてました。エスノグラフィックリサーチという言葉自体を知らなかったので、まず調べるところからはじめました。エスノグラフィックとは、エスノ(ethno-)=「民族」とグラフィー(-graphy)=「記述」で「民族誌」と訳されます。もとは文化人類学などで民族の生活様式などを詳細に記述していく研究手法のひとつでした。すなわち、エスノグラフィックリサーチとは民族誌学的アプローチによる調査のことをいい、人々が活動している現場を観察・理解し、それを描写するための手法です。

エスノグラフィックリサーチではユーザーの潜在的な欲求を探ることが求められるため、言語化自然に観察を行う難しさがあります。昨年ミズノさんとのプロジェクトを通して実際にそれを実感しました。

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また、エスノグラフィックリサーチでは、ビックデータやITはあまり効果がないと考えられます。その理由に、浅野さんがおっしゃっていたお話を例にあげます。ある会社員は会社のビルの下にあるコンビニにいつも13時頃にお昼ご飯を買いに行きます。ピーク後のその時間には買いたい商品が既に売り切れで、いつも昆布おにぎりしか残っていないのです。しかも彼はそこまで昆布が好きではありません。しかし、コンビニには「20代男性 13時頃 昆布おにぎり」というデータだけが記録されているため、昆布おにぎりは必要とされていると読み取られます。データに合わせて発注されるため、いつものように昆布おにぎりが残っているという状況は変わらないのです。このように、ビックデータが必ずしも顧客のニーズに応えられるとは限りません。そのため、エスノグラフィックリサーチが必要とされるのです。

そこで私たちはエスノグラフィックリサーチを行う上で以下の5つが大切だと考えました。

・企業もユーザーも満足させる

→片方の満足ではビジネスが成り立たない

・教養を学ぶ

→引き出しを増やす

・仮説をたてる

→仮説をたてないと何もかもが見えてしまい、結局何も得られない恐れがある

・経験を積む

→経験を積むことで勘が働くようになる、パターン化できる、コツがつかめる

・量を増やす

→データが少ないと共通点や相違点が見いだせない
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【フィードバック】

・仮説はたてない方が良い

→最初はゼロベースで観察し、ある程度データを集めてから自分で分析する

・市場がエスノグラフィックリサーチというものを知らない

→福岡とかではじめちゃえ!(確実にニーズはある)

・質的データ

→数値から読み取る量的データとは異なる

→現場で学ぶしかない

社会学を学ぶ

・何でも面白がる心をもつ

ex)私の発表の仕方…前のスクリーンを横目で見ながらも体は参加者の方を向いている。

→歩いてても問いがたつ

 

エスノグラフィックリサーチは正解がないからこそ難しいですが、ゼミで学んできたこととも繋がっているので、色々思い出しながら話していたらアンカンファレンスの時間があっという間に感じました。また、私が代表して発表することになったのですが、緊張と自信のなさからスクリーンを見っぱなしだったことについて触れられ、恥ずかしいというかまだまだだなーっていうかいつになっても人前で話すのって慣れないなと思いました。発表の姿勢以外にも、言いたいことを上手くまとめられずに、終わった後にあぁあれも言えばよかったなどと後悔がありました。だからこうやってブログにまとめることが大切なんだなと改めて感じます。

 

ゲームチェンジとサービスデザインについて浅野さんにお話しいただきましたが、森田先生が私たちに教えてくださることと似ているというか、まさにそのまんまだなと講演を聞きながら思っていました。例えば、今ゼミで学んでいる教養。やってきたことややっていることが間違っていないと再認識できた時間でした。(あとから知ったのですが、浅野さんは森田先生の先生なんですね!)

浅野さんは俺はこう思うとか、俺は嫌いとかはっきりしていて、でもそれが聞いていて全く嫌な感じがしないので、私はすごく好きというか、刺激を受けました。また機会がありましたらぜひお話を聞きたいです。

ありがとうございました。

 

それではまた次回。

情報設計ワークショップ

こんにちは。

 

塔村です。

 

金曜日の3、4限に飛田ゼミにお邪魔してワークショップを行いました。UXデザインについて学ぶということで、株式会社アジケの梅本さんにお越し頂きました。

ajike.co.jp

 

まずはじめに、”具体と抽象”について。具体と抽象、馴染みのある言葉すぎて、改めて問われるとスッて答えられない自分がいました。哲学的思考がまだまだな証拠です。そこで飛田ゼミの学生さんが「具体は、自分の経験から見出したある特定のモノ。抽象は、みんなが思っているモノの定め。」と言っていて、そうかもしれないと思いました。

では、デザイナーが使っている具体と抽象とは何でしょうか。以下の図のように、具体から抽象までそれぞれの形に分けられます。
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デザイナーは、骨格(UI)からトレース、つまり、この工程をたどっていきながら戦略を読み取らなければなりません。

戦略を読み取るには情報設計が必要です。これはデザイナーだけではなく、例えば、自分の強みはなんだろうと考える私たちにも同じことが言えます。抽象的なものをまず分解して、それらを分類し、組織化することで具体的にするのが、情報設計です。

 

今回はこの情報設計のワークショップをカードソーティングを用いて行いました。カードソーティングとは、参加者がカードに書かれたそれぞれのラベルを分類し、分類した結果を分析、そしてその情報を整理するというUX調査手法です。この手法によって、該当分野に対する知識が構造化でき、ユーザーに分かりやすく伝えるための情報表現技術を作成することに役に立ちます。

難しそうに聞こえるけど、やってみるととても楽しかったです。まずはグループで様々な犬種のカードから”つながり”を書き出しました。動物、4本足などの共通点から平均寿命やしっぽの形などの相違点までたくさん見つけ出しました。


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隣のグループと交換すると、トリミングが必要かどうか、飼いやすいかどうかということも書かれていて、自分たちでは思いつかなかった意見を吸収することができ、さらに考えが深まりました。このように「分ける」は、「分かる」ための第一歩になります。

次に、自分たちが”犬カフェを開くとしたら”について話し合いました。ターゲットを絞り、その人たちが得られる体験を考え、そのためには犬たちをどう並べるか分類しました。犬たちを並べるときに最初に行った分類の軸を上手く活用します。私たちはじっくり考えすぎて2つしか思いつきませんでしたが、濃い内容になったと思います。既存の犬カフェでは面白みがないので、他にない新たなアイデアを考えました。

①大型犬カフェ

ターゲット:大型犬を飼いたくても環境面や経済面から飼えない家族

シチュエーション:犬と遊んで癒されたいとき、休日など時間ができたとき

カフェに求められること:実際に飼っている状況を想定した空間づくり→飼っている気分を味わえる価値

分類の軸:サイズ(大型犬)、性格(おだやか、人懐っこい、遊び好き)

②非日常を体験できる犬カフェ

ターゲット:Mな人、非日常を体験したい人

シチュエーション:いじめられたくなったとき、つまらない日常に刺激が欲しくなったとき

カフェに求められること:犬に噛まれたり、吠えられたりする→いじめられたい、刺激が欲しいなどの欲求が満たせる価値

分類の軸:見た目(怖そうな感じ)、色(黒っぽい)、性格(警戒心が強い、ケンカ好き)

 

ステップ1と同じく、隣のグループと交換したことで、これまた自分たちでは思いつかなかった発想を得ることができ勉強になりました。若者をターゲットにした映画やドラマの世界を実写体験ができる犬カフェや高齢者をターゲットにしたドッグセラピーカフェなど、需要ありそう!って思いました。

最後に、ステップ2で考えた内容を基に犬カフェをオープンする想定で具体的に案を練りました。選ばれたのは、②の非日常を体験できる犬カフェでした。梅本さんに”非日常”をもっと具体的にすると分かりやすいかもとアドバイスをいただきました。そこでペルソナを考えました。35歳独身サラリーマンの彼は、日頃の仕事の忙しさで溜まったストレスを発散したいけど、そこまでお金はかけたくない。Mな性格で動物が好き。


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非日常=普段しないこと、かつストレスが発散できることと考えたとき、男性の場合キャバクラとかなのかなーとなり、でもこのペルソナの男性はコスパ重視⇒キャバクラと比べてリーズナブルな犬からいじめられるカフェで欲求が満たされ、ストレスも発散されるという結論に至りました。 キャバクラに行くと生じる(であろう)罪悪感もないし、友達がいない人でも十分楽しめるのではないかと考えました。

ユーザーのニーズに応えるため、以下の3つの切り口を考えました。

・スタンダードコース→吠えられる、唸られる、あまがみ

スペシャルコース→(スタンダード+)噛まれる、蹴られる、飛びつかれる

スペシャルフルコース→2匹スタート、スペシャルより激しめにできるオプション付き

また、犬たちを分ける分類は、サイズ気性の荒さを軸としました。
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ということで、サービス名は「キャバクラじゃなくて犬カフェin六本木」です。コンセプトは、非日常を体験できる場所です。ターゲットは、いじめられたいMな人や、刺激が欲しい人ですが、その他にも、何かの罰ゲームとしてなど団体でワイワイ盛り上がりたい人たちにもニーズがあるのではないかと考えました。

課題点としては、洋服が破れる可能性や怪我の恐れがあることです。また、入りにくいという抵抗を持つ顧客もいるかと思うので、そこらへんも工夫が必要なのかなと思いました。あと、森田先生からキャバクラって何するところ?何を目的に行くの?と聞かれ、色々考えると、非日常=キャバクラという例えが実はあんまりよくなかったのかなと思いました。キャバクラに行く人は金使ってる自分かっこいいと思われたいとか、女の子を育てたいとか、ちやほやされたいとか、お話を聞いて欲しいとかっていう欲求を満たしたいというのが大半だと考えられるから、それは犬カフェでは賄えないか、と思いました。

 

2コマを使ってWSを行いましたが、普段接点のない他ゼミの学生の意見や考え方に触れることができたり、カードソーティングという知らなかった手法を使って楽しく話し合いができたり、とても有意義のある時間となりました。講義を欠席してでも参加してよかった!と思いました。

面白いアイデアが考えついたのは嬉しかったですが、店のオーナーとして果たしてこのサービスが儲かるのかとか、他にも怪我などの課題点があるので、ビジネス的に考えられるよう脳みそを鍛えたいです。

 

株式会社アジケの梅本さん、飛田ゼミの皆様、本当にありがとうございました。

 

それではまた次回。

#日常を旅化するには

こんにちは。

 

塔村です。

 

一昨日のゼミは、旅を学ぶ最後の回でした。


manataro1112.hatenablog.com

前半は、主に嶋田さんへの質問タイムでした。

・旅にかけるお金や時間の管理はどうすればいいのか?

昔に比べて通信技術の向上や公共交通機関の発達で旅がより身近なものになったのと同じように、この先、旅は増々しやすくなると予想される。だから普通に働いて普通にお金を貯めれば空いた時間で旅ができるはず!嶋田さんの場合は、転職をするときに、次の仕事に就くまでの間で旅をすることもあるそう。稀に旅先で仕事を見つける、なんてことも。

・例えば、いつもと違う道を通って帰るなど、視点を変えようと思ったキッカケは?

意識せずとも常に楽しいことや面白いことを探している。転勤族だったということも影響しているのか、そういう心が昔からあった。自分が楽しんでいる時が一番学んでいる時

・旅をするにあたってWi‐Fiは必要か?

SIMフリースマホを持っているので、現地でSIMを調達する。Wi-Fiを借りるより安く済む。

・大学卒業後の進路について

卒業後、楽天に就職。そこまで苦労せずに入れた且つ、入ってからもつまらなかった。まるで金太郎あめのようにトントントンッとみんな同じようにまとめられた。だから辞めた。

・今気になっている国は?

中国→自動運転だけで成り立つ地域を見てみたい

ニュージーランド→多くの経営者が移住しているらしい

・ワーホリで滞在していたオーストラリアでの仕事は?

フィジーに留学中に出会った農家さんのところでフルーツピッキング。体力勝負の仕事すぎて腰に負担がかかり怪我を負った。

 

ここで印象に残ったことを2つあげます。

私も、旅にかかるお金や時間の変化は嶋田さんが仰ったように、今後ますます加速し、旅人にかかる負担ももっと減ると思います。しかし、旅に出る・出ないを決めるのは自分自身であり、世の中がどう変わろうが自分が何もしなければ何も変わりません。今だって旅に出るチャンスはたくさんあります。結局、自分次第だと私は思います。

リゾート地であるフィジーは世界中から観光客が訪れますが、中でも多いのは、フィジーから近いオーストラリアやニュージーランドの方々です。嶋田さんがフィジーに留学していた時も、たくさんの観光客に出会ったそうです。たまたまオーストラリアから来たフルーツ農家さんから「うちに働きに来ない?」と声をかけられたのがキッカケで、留学後オーストラリアへ飛びました。人生って本当にいつ何が起こるか分かりませんよね。嶋田さんのように人との出会いを大切にすること、大事だなと改めて感じました。

 

 

後半は、「日常を旅化するには?」というテーマでグループで話し合いました。

私たちのグループではまず”旅”について考えました。(哲学っぽい)旅といっても、いろんな旅がありますが、大きく二つに分類されるのではないでしょうか。一つは、よーしここを目指すぞ、そのためには◯◯をするぞ、といったように、自分で計画していく旅。そしてもう一つは、行き当たりばったりのような興味の赴くままにいく旅

次に”旅化”について考えました。何でもない日常を非日常にすること。非日常ってまさに旅の醍醐味ですよね。では、非日常にはどんなものがあるのでしょうか。グループでそれぞれ具体例や体験談をあげてみました。あえて時間をズラして登校してみたり、めっちゃ朝早くから行動してみたり、逆に夜遅く出歩いてみたり、時間帯を変える。漫画のような、ドラマのような、傘が倒れた方向に進む。ほっそい路地を通ってみたり、最短ルートの帰り道ではなく寄り道・遠回りをしてみたり、自分が普段通らない道を行く。間違えて乗り過ごしちゃたけど、戻らずに知らない駅でテキトーに降りる。非日常にする方法はたくさんありますね!こう考えると旅化の”旅”は、二つめの興味の赴くままにいく旅に値するような気がします。
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では、本題の「日常を旅化するには?」について。日常を旅化するには、何でもない日常を、興味の赴くままに過ごせるような非日常にするために、自分がどのように行動するべきかを考えなければならないと思いました。話し合いの結果以下の4つにまとまりました。

・目的はあるけど手段を変えてみる

例えば、”家に帰る”という目的は同じだけど、普段電車で帰っているところを、あえて歩いて帰ってみる。手段を変えるだけで、見える世界も感じ方も大きく変わるのではないか。

・自分を試す

Googleマップに頼らず自力で行ってみたり、人を頼らず一人で行ってみたり、自分を試すと、もうそれだけで大冒険になる。

・環境を変える

実家で何もしなくても掃除、洗濯、ご飯など不自由なく過ごせたのが、一人暮らしをして環境が変わると、全て自分でやらなくてはいけなくなり、考えることも増える。

・人からの影響を受ける

自分の知識や価値観を超えた影響を人から受けることも旅化への一歩。

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他のグループで出た話もすごく面白くてなるほどなと思いました。

・立場、見方を変える

・考えたり、読書をしたりするのも旅

→日常は旅だ

・旅かどうか決めるのは自分

・ルーティーンを作らない

・直感を大切にする

・ゆとりあるスケジュールを立てる

→突然の変化にも柔軟に対応できるように

→キツキツだと結局いつもと変わらない

 

”旅”と聞くとどうしても、どこかに行く、向かっているのをイメージしてしまいがちですが、考えるという行為や読書そのものも”旅”だ、という意見を聞いて、そういう考え方もあるのかと揺さぶられました。

 

読書も旅、ということで次回からは「文学」を学びます!

事前課題はフランケンシュタインを3回読む。今必死に読んでます。

 

 

改めまして、嶋田さんありがとうございました。

 

それではまた次回。

結果発表

こんにちは。

 

塔村です。

 

レジ袋削減対策を実施するべく学チャレに応募し、プレゼンを終えましたが、先月末ついに結果発表がありました。

manataro1112.hatenablog.com

 

率直に申し上げますと、見事採用されました!

 

6件の応募のうちの3件に選ばれたことはもちろん嬉しかったのですが、これで終わりではなく、ここからが始まりなので、気を引き締めて取り組んでいこうと思います。

 

前回のブログではプロジェクトについてざっくりとしかご説明しなかったので、今回はもっと詳しく書いていこうと思います。

まず、プロジェクトを実施しようと思った背景は、”もったいない”を減らしたいという強い気持ちからです。私は基本ケチなので、賞味期限切れで廃棄されてしまう食べ物やつけっぱなしの電気など、あらゆることにもったいないと感じながら、一人で地道に”もったいない”を減らす努力をしてきました。学チャレのプロジェクト内容について考えるとき、この一人でコツコツやっている”もったいない”を減らす作業を、学生みんなでやれば大きな結果を導くと考え、”もったいない”の中でも以前からずっと気になっていたレジ袋に目を向けました。

レジ袋は、購入した商品を持ち運べるだけでなく、その後ゴミ袋としても活用することができる、とても便利なものです。しかし、福岡大学内で使用されているレジ袋は、新品な状態からゴミとなって捨てられる時間が非常に短いのが事実です。お昼ご飯を買うために売店に行き、そこでもらった綺麗なレジ袋がお昼ご飯を済ませた20分後くらいにはもうゴミとなっているのです。私たちはこれを「レジ袋の寿命」と名付けました。レジ袋が便利なものであることには私も同意です。レジ袋をもらうことではなく、レジ袋の寿命が短いことに”もったいない”と感じるのです。私たちはこの”もったいない”を減らしたいです。

 

”もったいない”を減らしたいという想いに加え、世界のレジ袋削減対策もこのプロジェクトを実施しようと思ったキッカケです。特定の地域や国全体でレジ袋の削減対策を行っているところを挙げたらキリがないほど、今や世界中で取り組まれている環境問題のひとつです。私が特に刺激を受けたのは、以前訪れた韓国とフランスです。

韓国でコンビニに行ったとき、お会計を済ませると、買った商品だけが差し出されました。レジ袋いりますか?いりませんか?と聞く以前に、そもそもレジ袋を置いていないのです。フランスでスーパーに行ったときもそれは同じで、どうしても袋が必要ならエコバックを買ってください、といった状況でした。現地の人は袋がないのが当たり前だからエコバックを持ち歩いていたり、そのまま手で持って帰ったりしていました。レジ袋を普段から断っているだけに、日本がそういう環境でないことがすごく恥ずかしいというか悔しいというか、これらの国々を見習うべきだなとその時感じました。

私のこの気持ちが通じたのか、先日ついに日本政府がレジ袋の対策を表明しましたね。政府の意向を受け、福大生がレジ袋対策を行う先駆けとなるよう、このプロジェクトにより一層力を入れていこうと決意いたしました。
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次に、具体的な対策案についてご説明します。①レジ袋セルフサービス、②運搬用カゴの設置、③いる人・いらない人に分列、④レジ袋に印刷(メッセージ性のある文字やイラストなど)の4案を考えておりましたが、その前に、実施予定場所であるオアシスの業者さん、すずらんさんにプロジェクトの実施に向けて許可をいただくため、問い合わせました。 突然申し出たにもかかわらず、プロジェクトのことを真剣に考えてくださり、さらにご協力をいただけるとのお返事をいただきました。

残念ながら②、③の案については、犯罪(万引き)に結びつく環境を未然に防ぐことが難しくなる、レジを分けることにより偏りが生じ、更に混雑が予想されるなどの理由から実施することは不可能となりましたが、すずらんさんと協力し合いながら成功に向けて①、④の案を土台にプロジェクトを進めていこうと思います。

 

①レジ袋セルフサービス

もったいないと感じているとはいえ、袋がどのようにして使われ、捨てられているのかじっくり見たことがないなぁと思い、プレゼン前にオアシスで観察調査を行いました。その結果、「袋いりません」と断る人が非常に少ないということが分かりました。その理由は、お会計に必死でそれどころではないという人もいれば、本当は袋いらないと思っているけど会話をしたくない、言いだす勇気がない、恥ずかしいという人(これはあくまで私の予想ですが)、そもそも袋を断る気がない人など、様々です。そんな方たちにピッタリな対策が、このセルフサービス案なのではないかと思います。いる・いらないの意思表示をする必要がなく、会計を済ませたらレジの先に設置されたレジ袋を取り、袋詰めを各自行います。従業員さんの負担が減るだけでなく、その行為が面倒と感じてもらえることで、レジ袋削減に繋がります。

しかし、問題点もあります。セルフサービスにするということは、レジ袋をもらってももらわなくてもどちらでも良いのです。自由が故に、中にはレジ袋を必要以上にもらう人もいるかもしれません。その課題については今後煮詰めて考える必要があります。

 

④レジ袋に印刷(メッセージ性のある文字やイラストなど)

このプロジェクトを実施するうえで私たちが心掛けていることがあります。それは、コスト削減です。”コスト”とは、もちろん経済的な意味を指しますが、それ以外に学生や従業員さんが感じる”負担”という精神的な意味も含まれています。どういうことかと言いますと、強制されるのではなく、自らの意思でこのプロジェクトに参加して欲しいということです。世の中には、人の数だけ価値観や考えがあります。自分の価値観や考えに反することを無理矢理させられる、というのは不愉快なうえ、積極的に行動を起こす気がなくなるでしょう。ですので、外側からではなく、内側からじわじわとレジ袋削減に対する気持ちを感じてほしいのです。

そこで考えたのが、レジ袋にメッセージ性を持たせるというこの案です。ローソンやファミマなどでは、既にその対策が取り入れられ、「レジ袋が不要な方は申し出てください」といった文章や、木・鳥などのイラストが描かれたレジ袋が使用されています。しかし本当にそれだけで人の心は動くのでしょうか?それを見て今度からレジ袋断ろうと思った人がどれだけいるでしょうか?もっとガツンとしたメッセージを込めなければ、人は行動どころか、気付きもしません。

 これから具体的にどういったメッセージを込めるか検討しますが、現時点での候補は、「1.72」という数字や「I'M NOT TRASH.」という文字です。知っている人のほうが少ないと思いますが、1.72とは福大で使われているレジ袋1枚あたりの値段です。私はゴミじゃないよ!という英文も斬新でいいかなと思っています。

この案の問題点としては、やはり費用です。少なくとも今かかっている1.72円より高くなります。ですが、私は将来への投資と考えれば、決して無駄ではない費用だと思います。何をするにもキッカケというものがあります。メッセージの込められた袋を見て、レジ袋について考え、行動するキッカケを提供したいです。

 

 

プロジェクトを実施すれば、問題点や改善点はますます増えることになるかと思いますが、試行錯誤しながら、環境に、社会に、そして一人ひとりに良い影響を与えられるよう頑張ります。

 

それではまた次回。

旅は何を教え、何を育てるのか

こんにちは。

 

塔村です。

 

先週のゼミは、嶋田さんにお越しいただき、嶋田さんが旅を始めたきっかけや、これまで訪れた場所、前回ブログに書いた質問の答えなど、たくさんお話していただきました。

manataro1112.hatenablog.com

 

この日は森田ゼミ2期生に加え、嶋田さんのお話を聞きたいという1期生、他ゼミの学生、社会人の方々も来られて、教室がぎゅうぎゅうになりました。

 

嶋田さんの初めての海外旅行は、10歳の時に家族と訪れたアメリカでした。初めて経験する異国の文化や食べ物、人々の生き方に触れて、少し海外に興味を持ち始めたそうです。それから大学生の時にイタリアに行ったり、青春18きっぷで国内旅行をしたりとどんどん旅にハマっていきました。社会人になって海外の仕事をするようになり、英語の必要性を改めて感じた嶋田さんは、フィジーに留学に行き、オーストラリアでワーキングホリデーをしたそうです。途中で腰の怪我のリハビリをするためオーストラリアから日本へ強制送還されましたが、もっとゆったりとした場所でリハビリをしたいと思い、ヨーロッパへ飛んだそうです。(この発想がすごい。笑)

 

そんな嶋田さんのお話の中で一番印象的だったのは、”旅は何を教え、何を育てるのか”ということについてです。

〈旅が教えるもの〉

・自分のできる/できないが分かる

・非日常に触れるため、今の環境に感謝

・移民や人口減少などの社会問題について考える機会を与える

・経済規模の大きさと幸福度は比例しないことが分かる

・基本的に世界中の人々はみんな優しい

〈旅が育てるもの〉

・主体性(受け身から能動的な姿勢へ変化)

・自分で切り拓く能力

・段取力、ハプニング対応力

・自己責任と管理力(お金、時間、意思)

・価値観や人の生き方を寛容に受け止める心

 

全て納得のいくもので、私も過去の旅からこれらのうちのいくつかを教わり、学びました。例えば、ヒッチハイクの旅や台湾へ訪れたときは、人の優しさをこれでもかってくらい感じました。また、オーストラリアに滞在していたときは、水が身体に合わなくて、肌が荒れたり、髪が傷んだりしましたが、普段日本で何気なく使用している水がどれだけ有難いものか、身に染みて感じました。さらに、イタリアでは、予約していたバスに乗り遅れたため、急遽電車に乗って目的地に向かうというハプニングに対応する力が試されました。

 

価値観や人の生き方に対しては、色々な場所に訪れるたびに寛容になってきている(年とったのも関係あるかも)のかなと思いますが、自己責任や管理力が私にはまだまだ足りないと思っているので、将来の旅を通して身につけていきたいと思います。これらは日常生活の中でも培っていけそうなものですが、”旅”という非日常的な環境に置かれた時、人はいつも以上に自分の力が良くも悪くも発揮されると思うので、”旅”に教わり、”旅”に育てられていこうと思います。

 

もうひとつ 、嶋田さんが仰っていたことで印象深かったのが、”旅の経験を重ねることで養われる直感”についてです。不自由な生活を続けていると様々な状況に直面します。その経験を積み重ねていけば、自ずと直感が働きます。不自由は大変なことばかりだけど、逆に便利だと人は何も考えません。経験したからこそ得られる直感という感覚をもっと磨いていきたいです。そのためにはもっと旅が必要だ。嶋田さんにオススメされたフィジーバルセロナ、気になります。skyscannerとAirbnbGoogleマップを駆使していつか絶対行く!

 

それではまた次回。