まなたろぶろぐ

福岡大学卒 社会人2年目

考えてみた

こんにちは。

 

塔村です。

 

文学について書き終えた後に、課題の存在を思い出したので、もうひとつの記事にします。


manataro1112.hatenablog.com

 

与えられた課題は2つ。

①人間(クローン人間)を作り出すことの是非

②自己肯定感はどうすれば(どのように)実感できるのか

 

順番に考えていきます。まず①ですが、クローン人間を作ることが正しいか、そうでないかということについて。以前、ヒカルの死について考えたときを思い出しました。
manataro1112.hatenablog.com

ヒカルの完璧なコピーは、過去の記憶まで持っており、ヒカルと同一人物ともいえます。クローン人間もいわゆるコピーだけど、ヒカルの場合と違って、過去の記憶までは持っていないはず。という曖昧な認識だったので、まずクローン人間について知るところから始めました。

クローン人間

もとの人間と同一の遺伝子で創造された別の人間。ある遺伝子から無性生殖によって誕生した人間のこと。遺伝子の提供元となった人間とまったく同じ遺伝子をもつ。ちょうど人間のコピーに等しい。男性と女性の愛の結晶として誕生する人間とは違い、クローン人間の生物学的親に相当するのはひとりの人間だ。似ているけれども親子で異なる遺伝子をもつ人間が誕生するのではなく、まったく同じ遺伝子をコピーすることになるため、倫理的な問題は避けられない。

Weblio辞書より引用

クローン人間は一人の人間のコピーであるということは分かりましたが、記憶に関してはまだ分からなかったのでさらに調べました。興味深い記事があったのですが、要約が難しかったのでそのまま貼り付けます。

torepikulog.com

この記事によれば、もしクローン人間を作ったとしても、その性格・記憶は全く異なる人間が生まれてくるだけです。しかし、細胞に記憶が宿るという説も完全に正しくないとは立証されていないため、自分のクローンを作った場合、その子供が自分の記憶を一部もって生まれてくる可能性は0ではないということが言えます。

以上のことを踏まえて、クローン人間を作り出すことの是非について考えました。私は正しくないと思います。というか普通にキモイ。自分と似ているならまだしも、全く同じ外見ってキモイでしかない。キモイ以外に正しくないと思う理由が3つあります。

1つめは、人としての価値がなくなってしまうからです。全く同じ外見の人が二人いたら”個性”というものがありません。ヒカルの死について考えたときにも書いたように、唯一無二の存在である意味が失われてしまうのは、とても悲しく、同時につまらないことです。「十人十色」とか「みんな違ってみんないい」という言葉があるように、みんな何かしら違う部分があって当たり前で、違うからこそ一人ひとりの存在意義があると思います。そう考えると、今の若者はクローン的な要素があるように感じます。インスタなんか特にそうです。みーーんな同じ食べ物・同じ場所・同じ風景の写真を載せて、本質を理解せずに見た目だけにこだわって、いいねをもらって安心したり満足したり。個性もクソもないし、それに価値があると思えません。同じ人間を作るということは、価値を失うことと同じことだと私は思います。

2つめは、尊重性がなくなってしまうからです。クローン人間を”作る”というくらいだから、フランケンシュタインに出てくる怪物と同じように、ほとんどモノ扱いのように感じられます。石川先生が仰っていたことを思い出しました。「自分のクローン作って面倒くさいからそいつに授業行かせたり、仕事させたりして自分は他のことをする、とかね」クローン人間にだって感情はあります。自我もあります。なのに、コピーだからといって奴隷のように扱われるのはおかしいのではないかと思います。怪物だってそうです。ヴィクターによって作られ、人間と仲良くなりたい、それだけなのに、それすらも許されないのです。ああしたい、こうしたいという欲求が押しつぶされ、一個人として尊重されないのなら、それはもうロボットと同じなのでクローン人間を作る必要性が感じられません。

3つめは、愛がなくなってしまうからです。一人の人間のコピーであるから、例えばもし、ある夫婦がいて母親のクローン人間を作り、その子を育てたとしても、父親からしたら全くの他人になるわけですから、全力で愛情を注ぐのは難しいと思います。一生懸命育てても、心のどこかでは自分の子供じゃないという思いがあるはずです。

 

次に、②についてです。自己肯定感はどうすれば(どのように)実感できるのでしょうか。これまた調べてから考えました。

自己肯定感

自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。自己否定の感情と対をなす感情とされる

Weblio辞書より引用

ずばりこれは他人の存在から得られると思います。人のために貢献した、人を助けた、人から褒められた、人から愛されている、など、自分ではない誰かが影響して初めて自らの価値や存在意義を肯定できるようになるのだと思います。人間は一人では生きてはいけない、というか自分ではない誰かが存在しない世界などないので、必ず”人との関り”があります。その中で、人のために何か良いことをしたり、人から何か良いことをされたりして、自分という存在の意味を確認できるのではないかと思います。逆もしかりで、人から裏切られたり、人から嫌われたり、人からけなされたりすると、自分は何のために生きているんだろうと思いつめてしまいます。

そうならないために、まずは自分が人に良い影響を与えるということが必要なのではないかと思います。”思いやり”の心を持つことを忘れずに、こうされたらどう思うか、こう言ったらどう思うか、ということを常に相手の立場になって考えれば、それがそのまま自分に返ってくると思います。そうすることで、自己肯定感を実感できると思います。

 

思った以上に長くなってしまいましたが、考えるの楽しかったです。

 

それではまた次回。