まなたろぶろぐ

福岡大学卒 社会人2年目

文学はエンタメ

こんにちは。

 

塔村です。

 

哲学、旅を終え、先週のゼミでは「文学」について学びました。教育開発支援機構教育研究センターの石川源一先生にお越しいただきました。福岡大学では英語を教えているそうで、ゼミ生の何人かも先生から教わったことがあるといいます。そんな石川先生ですが、実はイギリス文学が専門で、卒論はフランケンシュタインについて書いたそうです。

だから事前課題でフランケンシュタインを3回読むように言われたんだ、と繋がりました。それにしても何故フランケンシュタインを選んだのでしょうか。石川先生が学生時代、先生の先生がシェイクスピアの研究をしており、やってみないか?と誘われたそうです。しかし、他に研究している人がたくさんいるし、何しろシェイクスピアが死んで400年も経つのに今からやってもなあと思い、むりーーー!と断ったそうです。それからゴシックホラーはやってみたい!と興味を持ち始め、フランケンシュタインにたどり着いたのです。そして今は詩、ポエムを中心に研究されているそうです。

 

まず、「文学」についてお話していただきました。文学は実は幅が広く、音楽や哲学も文学に含まれます。共通しているのは、”言葉”があるということです。

昔、テレビもラジオもない中、人々は何にワクワクしていたのでしょうか。ずばり、です。本は、登場人物たちの気持ちになれたり、自分ではない誰かになりきることができたり、まさにエンターテインメントなのです。昔も今も人はみんなドキドキ感を求めているのです。ドラマ、映画でよく扱われる”愛”というテーマのなかでも、悲しい恋の物語ほど好まれるのは、そういうこと。私もハッピーまっぴー恋愛物語よりも、泣ける系のほうが好きです。笑

そしてこれら全ての根底には”言葉””文字”があります。言葉や文字があれば、感情をアウトプットできるだけでなく、言ってしまえば何でもできます。そして最終的には物語が出来上がります。これが文学の目的とも繋がっているといえます。文学が100年くらい生き残っているのは、歴史など全てを知ることの手段になり、人間を勉強することができるからです。

 

次に、フランケンシュタインを読んだ感想をそれぞれ発表しました。本の感想は、なんとなくこう思った、たぶんそうじゃないかなと思う、絶対こうだ!というように、様々な意見が出るものです。捉え方や価値観は人それぞれだし、時には答えが出ないことだってあります。哲学では、答えのない問いにも答えを出せと学びましたが、文学では、”わからない”も1つの正解だということを学びました。この答えが出ない状態や、あえてそのまま放置する姿勢をJohn Keatsという方は、"Negative capability"と表現しています。日本語には翻訳し難いですが、何でも答えが出ていて、人の感情が言葉によって制御されるため、つまらない今の世の中とは逆の状態だと言えます。

全てを受け入れる広い心と、人間だから答えが出ないのは当たり前と認める心が文学では大切です。他者の意見を受容し、同時に考えるのが、文学を学ぶ姿勢であり、目的といえます。

【私の本を読んだ感想】

・最初の手紙がわけ分からなかった。理解しようと思っても全くできなかった。

・見た目だけで人間から拒絶されてしまう怪物がとにかくかわいそうだった。でもそれが人間のリアルを描いているようで、自分はどうなんだ、と考えさせられた。

・仲間を作ってくれるという約束をしたのに最終的に裏切られてしまい、そのショックがどれほどものか想像がつかなかった。もし自分が同じように誰かに裏切られたら、その先何を信じていいかわからずに人間不信になりそう。

【他のゼミ生の感想】

フランケンシュタインは怪物ではなく、人の名前だということに驚いた。

・イメージと原作がこんなにも違うなんて知らなかった。

・ヴィクターへのイライラが募るばかり。

・著者メアリーの人生と重なる部分があるのではないか?

・最初は怪物も頑張っていたのに、だんだんとひねくれていく様子が何とも言えなかった。

・望んでもないのにこの世に生まれて、作った本人からも拒絶されてしまう怪物がかわいそう。

 

共感する部分や、そういう見方もあるか~と、同じ本を読んだのに色々な感想がでて、聞いていてとても面白かったし、改めて読み直したいという気持ちになりました。感想を踏まえて、石川先生からフィードバックやネタバレをお話していただきました。

まず、フランケンシュタイン≠怪物といことです。フランケンシュタインは、ハロウィンで仮装している人がいるように、緑色の肌で頭に釘が刺さってたり、死んでいるような目をしていたり、怖いモンスターみたいなイメージがあったので、最初に本を開いて登場人物の部分を見て、!?となりました。誰もがイメージしているフランケンシュタインの物語像と原作との違いがあまりにもありすぎて、ビックリしたと同時にいかに自分が今まで無知だったかということを感じました。

次に、ヴィクターと怪物の関係性についてです。

1、創造性と被創造性

2、親と子

3、神と人間

ヴィクターと怪物の関係は、以上の3つと捉えられます。原作英語版では、怪物はクリエイチャー(creature)=作られたモノと記されています。モンスターと1回は書かれているものの、命を持つことも許されないような、モノとしての扱いをされているのです。また、神になりたかったヴィクターと、何もないところから成長し徐々に悪の部分がみえてくる怪物を人間に置き換えることもできます。

次に、導入部分についてです。f:id:manataro1112:20190704163449j:image

これは、テクニックのひとつで、これを用いることによって読者の興味を惹きつけるとともに、みんなが怪物かわいそう、ヴィクターひどいと言っていたように、怪物のことを好きにさせるように仕向けているのです。まんまとやられたぜ☆歌詞とか小説とか詩とか、文字で人の心を動かす人ってほんとにすごいと改めて思いました。

最後に、登場人物についてです。

基本的にみんな自己中ですよね。そんな中、唯一良心的な人物がいます。ド・ラセーという盲目の亡命者です。そう、彼は目が見えません。耳から聞こえてくる情報、つまり言葉でしか判断できないため、怪物を拒絶することをしなかったのです。幸せってある意味不幸ですよね。目が見えることは幸せだけど、何もかも見えてしまうだけに偏見が生まれてしまい、結果的にそれが不幸に。それなら、最初から目が見えない方が幸せなのかなと思ったり。幸せの定義も難しいですけどね。

 

 

文学のイメージはなんだか堅苦しくて、今までどちらかと言えば避けてきたけど、今回このように先生から教えていただき、文学の面白さが少し分かったような気がします。先入観ってよくないけど、だからこそ面白い!楽しい!って思った時のギャップが大きく、心に残りました。

 

石川先生、今週もよろしくお願いします!

 

それではまた次回。