まなたろぶろぐ

福岡大学卒 社会人2年目

”答えのない問い”にも答えを出せ

こんにちは。

 

塔村です。

 

先週のゼミでは今までの哲学の講義のまとめを行いました。

manataro1112.hatenablog.com

 

前回に引き続き、須長先生にお越しいただき、哲学対話についてより深くお話しいただきました。

 

「知識」とは、必要なときに知る、調べる、入手するのではなく、前提として知らなければ、”検索”すらできないものです。これは、私たちが今まさに哲学をはじめとする教養を学んでいることと同じだと私は思いました。”緊急でないけど重要なこと”である教養を、必要なときに身につけるのは不可能に近いです。何かを考えるというのは、頭の中の引き出しがあればあるほどアイデアの母数が自ずと大きくなります。ですが、教養がなければ頭の中に引き出しとしてストックしておくことすらできないのです。そうならないために、知識や教養を必要なときに入手するのではなく、前もって、予め知っておこうというわけです。 

f:id:manataro1112:20190516185903j:image

(須長先生がダイエットを例にお話してくださいましたが、私の絵が下手すぎて。笑)

 

そして、タイトルにもありますように、答えのない問いにも答えを出すことは非常に重要だ、ということも学びました。哲学を学んでいるとよく、難しい~答えないからこそ余計ね!なんて声をちらほら聞きますし、私もそう思います。確かに、哲学に「答え」はありません。いくら考えてもキリがないし、考えは人それぞれです。しかしそれは、答えがないから答えを出さなくていい、という意味ではありません。答えにしがみつく必要はありませんが、答えを出さなければ”語る”という土俵に立つことすらできないのです。

 

また、適切に問いを立てるということも学びました。ハッシュタグ適切な問いとはって感じですね。ずばり、1つの問いに対して1つの答えがあるというのが適切な問いです。考えは複数あっても、最終的な答えは1つになる問いを問いかける必要があります。反対に、適切でない問いとは、まともでない問いを指します。では、まともではないとは、どういうことなのでしょうか。例えば、「存在とは何か。」という問いです。どのように答えたら正しいといえるかが明確ではありません。また、一見深そうに見えて、実は何も意味がありません。問いは、人を惹きつけ、考えさせます。だからこそ、適切な問いかけをしなければいけないのです。


f:id:manataro1112:20190516185939j:image

 

さらに、面白いなーっと思った考えは、α思考・β思考(α読み・β読み)です。α思考とは、馴染みのある考えをする思考を指し、β思考とは、今まで考えたことがなかったことを考える思考を指します。赤ちゃんたちは、日々新しいの連続であるため、常にβ思考を行っています。一方で、ある程度世の中を知っ大人たちは、α思考になりがちです。その凝り固まった考え方から解き放たれるため、β思考は必要なのです。これこそが考え方の幅を広げるポイントとなります。

 

さて、一通り須長先生にお話しいただいたところで、森田先生から出された体験・経験を通じて成長できる人はどんな人?という問いについて、グループで話し合いました。簡単そうで意外と難しいこの問いに、私は考えがパッと思い浮かびませんでした。そしたらグループの子が一人、「明確な目標を持っていて、それに向かって努力して、目標を達成することが出来る人とか?」と言ったのをきっかけに、他にもどんどん考えが出て、話し合いが盛り上がりました。

その後それぞれのグループの答えを発表しました。私たちは、「同じ失敗をしない人や自分の失敗を認めてそれを良い方向に変える人、α思考のように自分のするべきことが定かでそれをこなす人、β思考のように視野を広げるためにとりあえず無駄な事でもやってみてそれを意味のあるものにする人」と、まとまりはないけど自信を持って発表しました。

すると森田先生から「みんなふつーに◯◯な人とかって考えだしてるけど、そもそも成長って何?そこ考えた?」と聞かれました。さんざん哲学について学んで”なんかちょっと賢くなったかも”なんて調子乗ってたのに、全く本質を分かっていませんでした。”成長”という単語が身近すぎて、当たり前すぎて、さっさと話を進めてしまいました。その当たり前を疑うのが哲学なのにね。まだまだだなー。だけど、数回の講義では身に着いていないっていうことを改めて感じたからこそ、教養を今学んでいる重要性というのも再認識できたように思えました。

 

ということで改めて、”成長”とは何か?について話し合いました。一言で”成長”といっても色んな”成長”があるよね、というところから話が始まりました。フィジカル面においてもメンタル面においても”成長”と捉えることができるものはたくさんあります。”成長”とは何か、の考えのひとつに「限界幅を広げること」があると思います。昨日はできなかったことが今日出来るようになったとき、今までの考えや概念を上回ったとき、それぞれ立派な”成長”です。また、「結果が出ない成長もある」のではないかと考えました。たとえ結果がでなくても、その過程そのものが”成長”と言えるのです。

このように、共通認識がありそうな”成長”という単語にも、色々な捉え方や考え方が含まれていて、それらをサラーっと流すのではなく、一度立ち止まって深く考えてみる、問いただしてみる。そうやって考え方の幅をどんどん広げていくことが大事だと学びました。

 

前回もこうしてブログに残したにもかかわらず哲学的思考が全然できていないもんなー。常日頃から意識して哲学的思考に慣れる必要があるのかもしれないですね。でも、答えのない問いとはいえ、あーだこーだ語り合うのはとても楽しくて好きだと感じました。

 

須長先生、この度は本当にありがとうございました。有意義で充実した時間を今後活かしていきたいです。

 

それではまた次回。