まなたろぶろぐ

福岡大学卒 社会人2年目

結局は自分のため

こんにちは。

 

塔村です。

 

 3年前期のゼミは「緊急でないけど重要なこと」を中心に学びます。なぜかという点について話すと本題に入るのに時間がかかりそうなので詳細は先生のブログをご覧ください。。
domino613.hateblo.jp

 

今回のブログは「利己主義」について書きます。

 

【課題】

どのような行為も、結局は自分のため、自己満足のため、自我の統一性を守るためのものだ、と考える立場で、このような立場は「利己主義」と呼ばれています。利己主義によれば、どれだけ他人のために見える行為(例:火事場で取り残された子を、通りすがりの人が身を助ける)も、結局は自分自身のための行為にすぎません。たとえ本人が、どれだけ他人のためだと思っている行為でも、それは単にそうした善い行為をしない自分が許せないとか、他人を助けるような善い人間としての自己イメージを守りたいとか、好きな相手の悲しむ顔を見たくないとか、結局のところは自分のための行為だからです。

ところで、この利己主義が正しいとすると、われわれの倫理や道徳もそのほとんどが無意味なものになってしまうのではないでしょうか。利己主義を認めてしまってよいのでしょうか。

 

課題に対して以下の3点について考えました。

①利己主義について感想

私は、”人のためと思っていることでも結局は自分のため”という考えに納得しました。本当に人のためを思って何かをするという行為はないに等しいと思います。人から良く見られたいとか、何もしなければ自分の心が痛むからとか、心では自分のことを思っているのだと感じました。

 

②その理由

①の理由は、実際に自分がそうだからです。これまで人に対して何かすることはその人のためと思ってやってきました。しかし、いつからか(この課題を与えられる前から)、人のためではなく本当は自分自身のためなのではないか、と思うようになりました。人に良く見られたい・思われたいから、自分への評価を高めたいから。。結局は全部自分のためなのです。

さらに、人のために何かをすれば、その分だけ、時にはそれ以上のものが自分に返ってくるものです。必ずしも同じ形でなくとも、自分が人に何かをした分、人から何かをしてもらえると私は思います。そうだとするならば、人のために何かをするのは、いわば自己投資なのではないかと考えます。

 

③利己主義は正しいと思うか(正しいと思う場合、利己主義を認めてしまうことでわれわれの倫理や道徳がどうなるか。正しくないと思う場合、なぜそう思うのか。)

私は、利己主義は正しいと思います。先述したように、人のために行う行為には、自分自身のためという気持ちが含まれています。一方で、人から何かしてもらったとき、私は素直に私のためにしてくれたのだと受け取ることができます。これは矛盾していますが、その人が私と同じように自分のためと思ってやっていても、それを感じません。心から感謝します。この課題を考えてから、自分がそう思っていることに気付きました。不思議です。しかし逆を言えば、私が心では自分のためと思っている行為も、された相手にしたら自分のためにしてくれたのだと思う、ということになります。

そう考えると、結局は全部自分自身のための行為である利己主義は、むしろ正しいと思います。もし、人のためではなく自分のためと思って人に何かするのは、その方が心が痛むと言って何もしないならば、それはその方が人にとってはマイナスなイメージ、行為にしかならないと考えます。以上の理由から私は利己主義は正しいと思います。

 

それではまた次回。